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「アランちゃん映像」から考える日本の報道

 シリア難民の男の子が海上で難破し、死体がエーゲ海の砂浜に打ち上げられた衝撃の映像が全世界に衝撃を与えています。
 日本のメディアも翌4日ごろから、この事件を相次いで報道していますが、欧米諸国の報道と比べると、日本のメディアには違和感を覚えます。

新規キャンバス

 上記した3つの写真は、左から読売新聞、朝日新聞、毎日新聞における本件記事の写真です。朝日は4日、読売と毎日は5日に掲載しています。
 3紙の中で際立って違和感があるのが、読売の写真でしょう。あまりに不自然な新聞の並び。男の子の死体が映らないように、撮影していることは言うまでもありません。他2紙においても、足こそ確認できますが顔は隠れて見えません。これとは反対に欧米の大手メディアは、悲痛とも言える男の子の死体写真(もしくは映像)を隠さず報道しています。

 日本のメディアの大半は、社内規定により死体の映った写真を原則公開しません。
 ある新聞社の記者に配られる「記者手帳」によると、写真掲載において「読者の知る権利を超え、嫌悪感を与えるような写真であってはならない」と書かれています。以前、死体の写真を学校の授業で使われたことが問題視され、マスコミをはじめ多くの人からバッシングを受けました。「死体を見せるな!」との理由は「遺族への配慮」「見たことで精神的苦痛を受ける(主に子ども)」など様々ですが、マスコミが死体を見せれば苦情が来ることは逃れられようもないことのようです。
 しかし、阪井宏さん著「報道の正義 社会に正義 現場から問うマスコミ倫理(花伝社)」によると、東日本大震災を例にとり、「これほど膨大な人命を奪った大災害に、一つの遺体も見当たらない報道をして、メディアは役割を十分に果たしたと胸を張っていいのだろうか」と疑問を投げかけています。
 広島平和記念資料館、長崎原爆資料館は戦争・原爆の悲惨さを伝えるため、子供に見せれば「トラウマ」になりかねないグロテスクな写真をいくつも展示しています。しかし、その写真が今に残っているからこそ、我々は戦争・原爆の悲惨さを感じることが出来るのではないのでしょうか。これは文字だけでは絶対伝わらないことです。
 確かに「読者の知る権利を超え、嫌悪感を与えるような写真であってはならない」ことは「当たり前」です。しかし、「後世に残す」ことを考えれば時にその「当たり前」を破ることも必要となるのではないでしょうか。

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